ドラム日和

ドラム・音楽・楽器を中心にその他諸々書いています。

ドラム・バンド・音楽・機材そのた雑感をダラダラ書いています。
更新は不定期です。

3.11・・・

 毎年この日だけはブログの趣旨に関係なく震災の事を書いています。
 今年も・・・この日が来ました。
 このブログでは初めてなので、色々書いてみます。


 僕は福島県とその近県出身者ではありません。
 2011年のその日、僕は神奈川県秦野市で地震に遭いました。


 当時の職場が昼夜交代制の職場で、その日は夜勤でした。
 前日の夜勤明けの睡眠中に揺れを感じて目を覚ましました。
 大きな揺れでは無かったので、再び眠りについていつも通り携帯のアラームで目覚めた時に妙な暗さを感じました。
 カーテンの隙間から入ってくるはずの街灯の灯りがありません。
 部屋中の家電品のパイロットランプも消えていました。
 当然照明も点きません。
 「ブレーカーかな?」・・・それも違いました。
 後で知ったんですが、街は大規模な停電になっていました。


 懐中電灯を頼りに着替えと出勤の準備をして部屋を出ると辺りは月あかりのみの暗い街になっていました。
 駅までの道、所々灯りがありました・・・変電施設のエリアによっては通電しているようです・・・・この時点まで僕は何が起こっているのか分からないままでした。


 駅へ着くと暗い改札の前に大勢の人が立ち尽くしていました。


 駅員さんに何が起こっているのかを聞いて初めて事態を理解しました。


 30分以上電話を掛け直して繋がった職場は震災の為操業しない、明日以降は追って連絡するとの事でした。


 駅舎の階段を降りる時にベビーカーを抱えて同じく降りる若いママさんがいました。
 やっと抱えて歩く姿を見ていられずベビーカーを預かって持ちおろしました。


 帰途、たまたま灯りの灯っていたコンビニに寄ってケータイの充電器と売り切れ寸前で残り少なくなった菓子パンを1つ購入しました。


 帰宅後はそのまま布団にくるまり、明日に備えて眠りにつきました。


 職場はそのまま1週間休業でした。
 小田急が動いたのは翌日の夕方過ぎでした。


 輪番停電が始まり、時間帯によってはテレビが見られるようになり情報が入って来て大震災の現実を目の当たりにしました。


 1週間後、仕事が再開し出勤するとすごく世話になっていた先輩の一人がすごく落ち込んでいました。
 東北出身者が多い職場で、休業中に地元へ戻って復旧の手伝いをしてきた人でした。
 パチンコが唯一の楽しみで普段は明るくあっけらかんと本音を話して笑っている先輩が声を詰まらせながら「帰る場所が無くなった」「親父が頑張って守って来た何もかもが流された」・・・と。
 神奈川へ戻ってきていつもの顔ぶれを見て気持ちが溢れたようでした。
 いつもすごく世話になっている先輩の落ち込む姿はショックでした。
 辛かったんだろう、悔しかったんだろう・・・色々頭に浮かびましたが、どんな風に声を掛けて良いのか分からずただ見ているしか出来ませんでした。


 その後、公私問わず震災支援に協力しました。
 募金、物資の送付、被災地の片付けなど・・・。
 それと、何かあるたびに福島沖の復興には出来る限り協力をしています。


 今年も僕は生きて今日を迎える事が出来ています。
 

 

 
 震災に限らず自然災害は人間の予想をはるかに超えた脅威をもたらし、大きな影響を与えます。
 しかし恐れてばかりでは前に進めないし、絶望的観測では後の世代に残せるものが無くなるので、しっかり前を見て歩かなければと改めて思う今日でした。


 亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。
 そして行方不明となっている方が少しでも早くお身内のもとへ戻られる事を願います。
 何より今現在暮らして生きている方々、まだ不便な暮らしの跡が残っているでしょうがずっと応援しています。

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